気付けばセールスで号泣していた…。
2022/11/01
セールスをされながら、
気付けば私は泣いていた。
悔しさと
悲しさと
虚しさと
自分への怒りが
涙となって
溢れ出た💧
本気でやっていたつもり
まじめにやってきたつもり
真剣に向き合ってきたつもり
…だったわけではない😑
20年前に、
私が心に残った言葉を
書き綴ったノートが3冊ある😶
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いわゆる「理解のある親」というのは、
このあたりのことを
まったく誤解してしまっているのでは
ないだろうか。
子どもたちの力が
爆発するとき、
その前に立ちはだかる壁になるのではなく、
「子どもたちの爆発するのもよくわかる」
などと言って、
それをどこかで回避し、
自分はうまく衝突を逃れようと
しているのではないだろうか。
子どもは文字どおり
暴走族になることもあるし、
何らかの意味で社会的規範を
破るようなことをしてしまう。
しかし、本当のところ、
子どもたちは法律の壁なんかではなく、
生きた人間にぶつかりたいのである。
厳密に言うなら、
理解ある親が悪いのではなく、
理解のあるふりをしている親が、
子どもにとってはたまらない存在
となるのである。
それは自分の生き方に自信がないことや、
自分の道を歩んでゆく孤独に
耐えられないことをごまかすためなのでは
ないだろうか。
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たしかに「衝突を逃れようと」
する側面が自分にはある。
それは小さい頃、
私の感情的な姿だったり、
母と妹の衝突だったり、
友達からのいじめだったり、
いろんな環境の中で
立ち回ってきた産物かもしれない😏
しかし、その結果
「中立」「中庸」を陣取る
やり方を覚え、
もちろん、
それが功をなすことも多いのだけれど、
自分の中でどこか冷めた目で
見ているところがあって、
一歩踏み込むのを恐れ、
常日頃から
一歩踏み込まれないように
バリアを張っていることに
自覚はある😞
その一線を越えるときは
「怒り」としてしか表現できず、
それ以上の表現が自分の中にはない😟
そして、
良くも悪くも
その「怒り」を
自分で消化し、
穏やかに過ごすことを
望んでいる私がいる😒
しかし、
今ここに来て、
それがどんどん裏目に出始めているような
気もする🤨
このノートをめくった先に、
こんな言葉があった🙂
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われわれがこの少年の心を
すぐに判断したり、
分析したりするのではなく、
それがこれからどうなるのだろう、と
未来の可能性の方に注目して
会い続けることが
一番大切なのである。
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今朝、
「成功の側面を見なさい」
と言われた意味が、
ようやく分かったような
気がした😇